文武大王陵(ムンムデワンヌン)は、慶州の奉吉(ポンギル)海水浴場の沖合にある新羅時代の水中王陵です。
世界でも類を見ない水中陵として、歴史的にも重要な意味を持っています。
東海の海岸から200メートル沖に位置するこの陵墓は、新羅第30代の王・文武王(661〜681年)のものとされ、世界初の水中陵として知られています。文武王は太宗武烈王の後を継ぎ、668年に高句麗を滅ぼして唐の勢力を追い出し、三国統一を完成させました。兵部・倉部などの官庁を設け、地方統治のための5小京、そして9誓幢・10停といった軍事制度を整えることで、国家体制確立の基礎を築きました。この水中陵は自然のままの岩石で造られ、四方に4本の水路が設けられています。東側の水路から西側の水路へと水が流れることで、陵内の水位が一定に保たれる仕組みになっています。文武王の遺骨は、南北3.7メートル、東西2.06メートルの亀甲形の岩の下に安置されていると考えられています。『三国史記』によれば、文武王は仏教の教えに従って質素に火葬し、東海に散骨するよう遺言し、自らは大きな龍に生まれ変わって新羅を外敵から守ると誓ったと伝えられています。息子である神文王は、東海のほとりに感恩寺を建立するよう命じ、本堂の下には東海へと続く水路が設けられました。この水路は、亡き文武王が海と寺院の間を行き来する道筋を象徴しているとされています。世界でも類を見ないこの水中陵は、新羅の人々の創造性を示す優れた遺産です。
出典:大韓民国文化財庁

文武大王陵は奉吉海水浴場の沖合に位置しています。
奉吉海水浴場を訪れても、陵は遠くからしか見ることができないため、その正確な姿をはっきりと確認するのは難しいです。
文武大王陵の詳しい写真はこちらのリンクでご覧いただけます。
文武大王陵をめぐる論争
文武大王陵の岩の中に、実際に王の遺骨や副葬品が納められているかどうかについては、長らく論争が続いてきました。
2001年の調査では遺骨や副葬品は発見されませんでした。
その代わりに、岩を削った痕跡が確認され、人工的に加工されたものであることが分かりました。
火葬後、遺灰を文武大王陵にまいたのではないかと推測されています。
奉吉(ポンギル)海水浴場



文武大王陵は、慶州の中でも特に人気の高い観光地とは言えませんが、訪れる人が少ないというわけではありません。
奉吉海水浴場は日の出を見るのに絶好の場所であり、文武大王陵を望むことができるため、巫堂(ムーダン)もよく訪れる場所です。
文武王は東海を守る守護神になったとされており、特に祈願のために訪れる人も多くいます。